浦和福音自由教会(Urawa Evangelical Free Church)
330-0061
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すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。マタイの福音書11章28節
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光■光 (縦233cmX横88cm)

 礼拝堂ロビーの第3番目のステンドグラスのテーマは、「ひかり」です。 「このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1章4〜5説) 創世記に記されているように、「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。(創世記1章2〜4節) はじめに神がみことばによって創造されたのは、「光」でした。光が創造された時、光のあるところには「やみ」はなくなりました。光とやみとは神によって区別されて、互いに交わることがありません。ヨハネの福音書では、「ことば」に「いのち」があり、この「いのち」は「人の光」であった、と書かれています。つまり、この「ひかり」は神であるキリストご自身のことです。そしてこの「光」であるキリストは、やみに打ち消されることなく、「やみの中に輝いている」し、やみはこの「光」なるキリストに打ち勝たなかったと言われています。ここでは、創世記よりもさらに進んで、「光」はキリストを表し、「やみ」は神に敵対する勢力を表しています。イエスは、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8章12節)と言われました。ここでは、光はキリストを意味し、やみは罪を指しています。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(第一ヨハネ1章5節)「神は光である」ということは、神は聖なる方、神は「暗いところが少しもない」、「透明な」お方であるということです。

 「光」のステンドグラスを見ると一番上には、聖書をかたどったものの上に、「わたしは世の光である」というみことばが記されています。そして左の下を見ると「やみ」を表す黒い不透明なガラスがはめられています。「光」と「やみ」とが対照的に置かれているのです。さらに、その隣接した部分には、黒い模様のついたガラスがあり、さらにその先には黒い色をした半透明のガラスがあります。これは、やみとその力が周囲に及ぼしている影響を表しています。しかし、それは小さく限られた範囲でしかありません。「やみ」は「光」に打ち勝たなかったのです。
 「光」のステンドグラスの中心に、「さかな」をデザインした部分があります。「さかな」はギリシャ語で、「イクスユス」といいます。「イエス・キリスト、神、御子、救い主」のそれぞれのギリシャ語のかしら文字をつなげると「イクスユス」つまり「さかな」の意味となるところから、「さかな」が「イエス・キリスト」のシンボルとされるようになりました。だから、このステンドグラスの中心にある「さかな」は「イエス・キリスト」を表しています。
 この「さかな」つまり「イエス・キリスト」が「世の光」です。この「さかな」つまり「イエス・キリスト」の中にあるガラスはすべて「透明」です。透明なガラスや様々な黄色やオレンジ色があり、これらは「光なるキリスト」のもつ様々な豊かさを表していると思われます。 第一に、光は暗闇を照らします。つまり、人間の持つ罪を明らかにします。 第二に、光はやみを追い払います。人間の罪を解決してくれます。 第三に、光は道を示します。私たちが進むべき方向を示してくれます。第四に、光は、やみの業(サタンの策略)を明らかにします。そしてそのやみの業を打ち破ります。第五に、光は将来に希望を与えます。私たちにキリストの最終的な勝利を信じさせてくれます。
実は、私自身は気がつかなかったのですが、ある兄弟が教えてくれたのは、この「さかな」の中心部分に、「小さな十字架」があるというのです。この十字架こそがやみの中で輝く光なのです。そして、この「さかな」の中にある「黄色」や「オレンジ」は「さかな」の外にも広がっています。これは、「光なるキリスト」の「光が」この世に広がって行く様を描いています。右下の緑の植物は、「光」によって生きる「いのち」を表しています。
 私たちは、この「光」のステンドグラスを通して何を見るのでしょうか。 第一は、「わたしは世の光である」と言われた、イエス・キリストを見せていただきたい。このステンドグラスを見続けてゆく中で、そこに新しく、より深く私たちを愛してくださるキリストの御顔を拝することができるようになります。 第二には、このステンドグラスを通して、私たちの心を見たい。私たちの心にある「やみ」とキリストの光に照らされて、赦され、癒された自分のこころを見続けたい。 そして第三に、このステンドグラスを通して、他の人々と、この「世」を見続けたい。 ステンドグラスは、不思議です。そして奥行きが深い。見る人の心、外の風景、季節によって、今までとは全く異なったものが見えてくるのです。

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