浦和福音自由教会(Urawa Evangelical Free Church)
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すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。マタイの福音書11章28節
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ことばは人となった(ヨハネの福音書1章14節)■ことば (縦233cmX横88cm)

第一のステンドグラスには、
「ことばは人となった」(ヨハネの福音書1章14節)と上部に記されています。そしてこのテーマは、「ことば」です。ヨハネの福音書は、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」という文で始まっています。「ことば」は御子をさしています。つまり、御子は永遠であり、御子は三位一体の神であり、父と共に交わりをもっていることを示しています。聖書にご自分を啓示された神は、父、御子、聖霊の三人格において存在される唯一の神なのです。
 そして、
「すべてのものは、この方によって造られた」のです。(ヨハネ1章3節) コロサイ人への手紙においてパウロはさらに詳しく述べています。「万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの・・・すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」(1章16〜17節)
 御子によって創造されたものの中心は、「人間」です。神は、
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と言われて、人を神のかたちに創造し、男と女に創造された。」(創世記1章26〜7節) 階段のステンドグラスにあるように、神は彼らをエデンの園に置かれました。しかし、彼らは神の戒めを破り、エデンの園から追放されてしまったのです。
 神は、この人類を救うために、長い時間をかけて準備され、そしてやがて御子を救い主としてこの世に送られました。それがイエス・キリストです。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は惠みとまことに満ちておられた」(ヨハネ1章14節)
 ステンドグラスの左上にある丸いかたちの赤いものは、「ことば」を表しています。それが処女マリヤを通して人となられたことを表しているのが、右下の小屋です。そこには、牛や馬が画かれています。そこには人となられた「御子」の姿は画かれていません。しかし、マタイの福音書2章に出てくる博士たちを導いた「星」が流れ星のように画かれており、その色と小屋の色を一致させることで、御子がそこに眠っていることを暗示しているのです。
 また画面の中心には、三十歳になったとき、洗礼を受けられた主イエスの姿があります。そして主イエスが洗礼を受けられたヨルダン川の流れが生き生きと画かれています。さらに主イエスのあたまの上には、「神の御霊がはとのように下って」いる様子を見ることができる。そして先ほど説明した「ことば」がもう一度その役割を果たしています。
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』」(マタイ3章17節) これは父なる神の声です。三位一体の神が同じときに現れてくださった瞬間です。

 「ことばは人となった」つまり、神の御子が完全な人となった。これは「受肉」と言われます。この目的は何か。
 第一は、目に見えない神を表すためです。
「いまだかつて神を見たものはいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」(ヨハネ1章18節)
 第二は、人間の罪の贖いのためです。主イエスの洗礼(バプテスマ)は、本来罪のない主イエスは受ける必要のないものでした。しかし、父なる神のみこころにしたがって、主は洗礼を受けられました。それが私たちに模範を示すためであるとともに、この謙遜が十字架にまでつながっていることを、私たちは知らなければなりません。罪のないお方が私たちの身代わりに十字架で死なれたのです。
「しかし、定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、律法の下にある者となさいました。これは、律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」(ガラテヤ書4章4〜5節)
 第三は、人間として生きる道を示すためです。
「キリストも苦しみを受け、その足跡にしたがうようにとあなたがたに模範を残されました。」(第一ペテロ2章21節) 主イエスの愛に満ちた聖なる謙遜な人格とことばと行動は、私たちが模範とすべきものでありました。
 第四は、私たちのとりなしをするためです。人となられたキリストは、
「私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように試みに会われたのです。」(ヘブル4章15節) 人としての苦しみ悩みを経験されたキリストは、私たちの弱さをよく理解し、同情し、とりなしてくださる方なのです。
 第五は、死と悪魔を滅ぼし、勝利を得るためです。
「そこで子たちはみな血と肉とをもっているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これはその死によって、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」(ヘブル2章14〜15節)
 第六は、真の人間性の回復のためでした。イエス・キリストは死より復活され、朽ちないからだによみがえられました。それは、私たちもキリストにあって復活し、朽ちないからだをいただいて、永遠に新天新地において神に仕え、神のみこころにしたがって生きるためです。(第一コリント15章50〜58節)
 このように、第一のステンドグラスが意味していることは、実に深い意味をもっているのです。


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