浦和福音自由教会(Urawa Evangelical Free Church)
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すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし があなた方を休ませてあげます。マタイの福音書11章28節
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ホーム > 週 報 > 2018/03/11
 
2018年3月11日(第10号)

「神の選びの民」

聖日礼拝

副牧師 齊藤 耕


第1礼拝司会:

栗原 誠兄  2章までのパウロの言葉は、神の民であるユダヤ人と神を知らない異邦人の間には、何の違いもないという印象を受ける。とすると、「ユダヤ人に対する神の選びとは何なのか。」「割礼には意味がなかったのか。」という反論が出てくる。パウロは、そのようなユダヤ人の反論を想定して、自ら問題提起し答える話法をもって論ずる。
 確かに、ユダヤ人は神の選びの民である。彼らは、神の約束を委ねられたという大きな特権があった。
 ところが、約束に従って救い主が遣わされたが、彼らの不信実により救い主を受け入れず十字架につけてしまった。この場合、神の真実は無に帰すのか。絶対にそんなことはない。むしろ、彼らが裁かれることによって神の真実は明らかにされる。
 しかし、人の不義により神の義が明らかにされるのならば、それに怒りを下す神は不正ではないのか。絶対にそんなことはない。世をさばかれる神の真実は、人の不義をも用いて現されたのであり、人の不義があるからこそ現されたのではない。そこで、「我々は神の真実のために、悪をしようではないか」と言っていると、私たちを誹謗する者があるが、当然彼らは罪に定められるのである。
 では、どうなのだろう。ユダヤ人たちは他の者に優っているだろうか。決してそうではない。ユダヤ人もギリシャ人も全ての者が神の前に罪人である。同様に、クリスチャンたちは、他の者に優っているところがあるだろうか。実は全くない。だからこそ、私たちは神によって選ばれた民といえるのだろう。

第2礼拝司会

山田起嘉兄

奏   楽 田中美穂姉
前 奏
招 詞* 詩篇100篇1〜5節
賛 美* 539番
祈 り
使徒信条 週報をご参照ください
賛 美* 7番
牧会祈祷

牧師

賛 美* 338番
聖 書 ローマ人への手紙3章1〜18節
説 教
『神の選びの民』
副牧師
献 金 138番
頌 栄* 541番
祝 祷* 牧師
後 奏
報 告
(*の部分はご起立下さい)

【3月の暗誦聖句】
どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。(伝道者の書4章10節)
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