浦和福音自由教会(Urawa Evangelical Free Church)
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すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし があなた方を休ませてあげます。マタイの福音書11章28節
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2018年11月11日(第45号)

「罪に死に、神に生きる」

聖日礼拝

副牧師 齊藤 耕


第1礼拝司会:

宮崎雅之兄  前の箇所で、私たちはキリストと一体にされるバプテスマを受け、キリストと共に死に、キリストと共に復活の新しいいのちに生かされると学んだ。
 さて、その「死」とは何か、また「生きる」とはどのようなことなのだろうか。
 パウロは、この「死」について、「私たちの古い人」がキリストと共に死んだという。罪の奴隷としてのかつての私たちだ。しかも、のろいの木(ガラテヤ3:13)である十字架につけられて滅ぼされたのである。それは、完全な死、無能力、無活動にされたことを意味する。それゆえに、「古い人」は、罪の奴隷としても存在することがなくなったのである。
 一方、パウロの告白は、「キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しない。」ということである。なぜなら、キリストは復活により、「悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼされた」(ヘブル2:14)からである。すなわち、悪魔の最大の攻撃である「死」というものを「復活」によって覆し、勝利されたからだ。これは、「罪」がキリストを支配しないことをも意味する。
 キリストの「死」は、罪に対してのものであった。そして、キリストが生きておられるのは、神に対してのものである。それ故に、キリストと一体にされている私たちも、キリスト・イエスにあって、「罪」に対しては死んだ者であり、「神に対して」は生かされた者なのである。

第2礼拝司会

山田起嘉兄

奏   楽 峯 弥生姉
前 奏
招 詞* 詩篇100篇1〜5節
賛 美* 539番
祈 り
使徒信条 週報をご参照ください
賛 美* 11番
牧会祈祷

副牧師

賛 美* 338番
聖 書 ローマ人への手紙6章5〜11節
説 教
『罪に死に、神に生きる』
副牧師
献 金 529番
頌 栄* 541番
祝 祷* 副牧師
後 奏
報 告
(*の部分はご起立下さい)

【11月の暗誦聖句】
主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。 (詩篇37篇6節)
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