浦和福音自由教会(Urawa Evangelical Free Church)
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すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし があなた方を休ませてあげます。マタイの福音書11章28節
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ホーム > 週 報 > 2019/05/26
 
2019年5月26日(第21号)

「律法は罪なのでしょうか」

聖日礼拝

副牧師 齊藤 耕


第1礼拝司会:

藤井邦明兄  7章5〜6節のみことばは、私たちの罪と死の責任が、律法にあるかのようにも受けとめられてしまう。そこで、パウロは「律法は罪なのでしょうか。」と問いかけ、「決してそんなことはない。」と言い切る。 そして、律法と罪の関係について、三つの事を示す。
 第一に、律法は私たちに自らの罪を知るように導く。律法が私たちに欲望を禁じなければ、欲望という心の中の根本的な罪を知ることがなかった。
 第二に、律法はその戒めをとおして私たちの欲望(罪)を引き起こす。但し、それを示した8節のみことばの主語は「罪」である。すなわち、罪が戒めによって機会をとらえ、神に反逆する自我を露わにし、欲望を引き起こさせたのである。
 第三に、律法は、人のうちにある罪を明らかにするのだから、その罪の結果である死に導くものとなる。
 それゆえ確かに、律法は罪なのではなく、罪とは相反するものであり、むしろ、聖なるものであり、具体的に私たちに迫る戒めも、聖なるもの、正しく、また良いものということができるだろう。
 13節では、「この良いもの(律法)が、私たちに罪の結果である死をもたらしたのでしょうか。」と、なお問い、「決してそんなことはない。」と断言している。死をもたらしたのは、むしろ「罪」だからである。しかし、律法(みことば)こそが、私たちを罪と死の現実に向き合わせ、御救いへの求めを起させる。そして、その御救いをも指し示しているのが律法(みことば)なのである。

 

第2礼拝司会

五十嵐正俊兄

奏   楽 峯 弥生姉
前 奏
招 詞* 詩篇100篇1〜5節
賛 美* 539番
祈 り
交読文 ヨハネの福音書15章1〜12節
賛 美* 9番
牧会祈祷

副牧師

賛 美* 聖歌623番
聖 書 ローマ人への手紙7章7〜13節
説 教
『律法は罪なのでしょうか』
副牧師
献 金 501番
頌 栄* 541番
祝 祷* 副牧師
後 奏
報 告
(*の部分はご起立下さい)

【5月の暗誦聖句】
私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。 (詩篇37篇25節)
【6月の暗誦聖句】
悪を離れて善を行い、いつまでも住みつくようにせよ。まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない
。 (詩篇37篇27〜28節)
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