浦和福音自由教会(Urawa Evangelical Free Church)
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すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし があなた方を休ませてあげます。マタイの福音書11章28節
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ホーム > 週 報 > 2019/06/30
 
2019年6月30日(第26号)

「この光を私は見る」

聖日礼拝

副牧師 喜多大樹


第1礼拝司会:

相馬敏之兄  「福音書」はイエス・キリストの目撃証言である。それは「イエスとは何者か」を語ることに他ならない。今、ヨハネの福音書が語り始める。
 第一に「初めに」への挑戦が私たちに立ちはだかる。「初め」とはいったい何なのだろうか。これは「ことば」が生まれたある時点とを指しているのだろうか。そうではない。一節冒頭は、「そのことばは初めであった」とも言い得る。このお方は「初め」そのものであるお方なのだ。『わたしは――最初であり、最後である。初めであり、終わりである。(黙22:13)』。永遠の存在者を私はここに知る。
 第二に、「神と共に在った」神を私たちは知る。1、2節で用いられている「共に」は、単に同じ場所に居るだけではなく、その只中で「動き」が伴っていることを意味している。つまりこの「共に」は三位一体なる神の「互い」の関わりと「永遠」の交わりが初めから在ったことを表しているのである。このお方によって私たちは造られた。このお方によらずに生まれた者は一人もいない。私は「交わりの存在者」によって創造されたのだ。
 第三に、「いのち」の意味を私たちは問うことになる。3節で万物の創造についての言及があった後に「いのち」が語られていることの意味は何なのだろうか。人は、神である主に『いのちの息を吹き込まれ(創2:7)』、生きるものとなった。ヨハネは語る。『この方にいのちがあった(ヨハ1:4)』と。イエス・キリストがいのちを与える神なのだ。
 人は光を求めている。誰も暗闇に留まり続けることを願いはしない。このお方は「人の光」なのである。誰もこの光を打ち消すことはできない。

 

第2礼拝司会

五十嵐正俊兄

奏   楽 風間美穂姉
前 奏
招 詞* 詩篇100篇1〜5節
賛 美* 539番
祈 り
主の祈り 週報をご参照ください
賛 美* 66番
牧会祈祷

牧師

賛 美* 聖歌623番
聖 書 ヨハネの福音書1章1〜5節
説 教
『この光を私は見る』
喜多師
献 金 332番
頌 栄* 541番
祝 祷* 牧師
後 奏
報 告
(*の部分はご起立下さい)

【6月の暗誦聖句】
悪を離れて善を行い、いつまでも住みつくようにせよ。まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない。 (詩篇37篇27〜28節)
【7月の暗誦聖句】
正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。 (詩篇37篇30〜31節)
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