Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
Home > 週報 > 2019/09/29
2019年9月29日(39号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :藤井邦明兄
第2礼拝司会 :小澤雅信兄
奏    楽 :臼倉ゆり子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*66番
牧会祈祷牧師
賛美*聖歌623番
聖書ヨハネの福音書1章6節~13節
説教『まことの光に照らされた者は』
喜多副牧師
献金333番
頌栄*541番
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「まことの光に照らされた者は」

副牧師 喜多大樹

 「ヨハネ」という人が現れた。他の福音書によると彼の父は特権階級に属する祭司であり、母もアロンの子孫にあたる(ルカ1:5)。華々しい家系の生まれと共に、彼はまた主イエスの親戚でもあった(ルカ1:36)。
 彼は決して光ではなかった。証しのために彼は遣わされたのである。その証しとは、闇への勝利を告げた光が「どのような光」であるのかを示すものにほかならない。さらにそれは、すべての人に関係することだという。私たちはこの光について何を知っているだろうか
 まことの光が世に来ようとしていた。9節の「まこと」とは「偽り」に対しての「真(まこと)」を指す。当時、イスラエルはローマ帝国の属国であった。この現実は、神の民と自認する彼らにとって堪え難い屈辱の極みであったと考えられる。これを裏付けるように、自らを「神に選ばれた者」と名乗る革命家たちが起こり、ローマへの反撃を目論んだ。また様々な民族刷新運動も展開されていた。光と感じられる出来事、人物が私たちを取り囲む。しかし、ひとりのお方を除いて、人は、人を救う光になることはできない。
 世はこの方を知らなかった。なぜなのだろうか。なぜ神の民はこの方を知らず、受け入れず、十字架の上に釘づけたのだろうか。ヨハネの福音書は今やこのまことの光が「すべての人」を照らすと言う。例外はない。十字架と復活の輝きはすべての人に対して放たれたのである。
【10月の暗誦聖句】
全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。 (詩篇37篇37節)

遠隔地在住会員に音声メッセージを提供しています。パスワードが必要です。