Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2019年10月6日(40号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :横田 眞兄
第2礼拝司会 :本木 誠兄
奏    楽 :風間美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
主の祈り週報をご参照ください
賛美*11番
牧会祈祷齊藤副牧師
賛美*聖歌623番
聖書ローマ人への手紙8章26~30節
説教『御霊のとりなしによって』
齊藤副牧師
献金500番
頌栄*541番
祝祷*齊藤副牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「御霊のとりなしによって」

副牧師 齊藤 耕

 「真の祈り」とは、どのようなものなのだろうか。使徒パウロは、『私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのです…』と告白している。それは、私たちが、神のみこころに疎く、自分自身の真の必要にも気がついていなからである。
 しかし、私たちの内に住んで下さっている御霊は、そのような私たちの弱さを知りつつ助けて下さり、『ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる』のである。「うめき」とは、最も深い感情の発露である。新しいいのちを生み出す苦しみの中で発せられるので、人間の弱さのゆえに痛みを伴うが、それは神の栄光の現れを待つ希望に満ちている。
『人間の心を探る方』である父なる神は、そのような「うめき」による御霊のとりなしを知っておられる。御霊は神のみこころにしたがって私たちのために祈っておられるからである。この祈りは、私たちの足りないところを補い、真の必要を満たし、何よりも神のご計画が成ることを人間に寄り添いながら求めたものである。これが、「うめき」をもってとりなされた「真の祈り」である。
「真の祈り」は、人の単なる願いごとではない。神によって定められ、神によって成しとげられることの告白である。だから確信に満ちている。それは、御子のかたちと同じ姿に定められた私たちによって長子である御子の栄光の現れを望むものである。私たちは、うめきながら、この祈りに共鳴させていただく者でありたい。
【10月の暗誦聖句】
全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。 (詩篇37篇37節)

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