Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2019年11月10日(第45号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :藤井邦明兄
第2礼拝司会 :本木 誠兄
奏    楽 :神野真理姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*11番
牧会祈祷齊藤副牧師
賛美*聖歌623番
聖書ローマ人への手紙9章1~5節
説教『真の愛国心』齊藤副牧師
献金502番
頌栄*541番
祝祷*齊藤副牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「真の愛国心」

副牧師 齊藤 耕

 パウロには、大きな悲しみがあり、心には絶えず痛みがあった。8章では、キリストによって圧倒的な勝利を確信し、もはや敵なしと凱歌をあげた彼ではあったが、ただ一つ心に憂える悩みを抱えていた。それは、同胞イスラエル民族の救いである。本来、神の民であるイスラエル民族の大部分がキリストを排斥して滅びの道を辿ろうとしていたからである。
 キリストを宣べ伝えるパウロ自身も、律法の違反者、亡国の徒と罵られてイスラエルの民から迫害されていたが、彼の同胞への思いは抑えられずにいた。その真実な思は、聖霊によっても証しされているが、『私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。』という強い言葉によって表されている。その意味を理解する者にとって、軽はずみに言える言葉ではない。
 もちろん、パウロは真剣であった。彼らが、神の選びの民イスラエル人だからである。彼らには、多くの特権や恵みが与えられている。他民族に先駆けて「子とされる」身分を受けること、神の「栄光」がその中にとどまること、アブラハムに始まる契約、律法が与えられたことも…。パウロは、神の選びの民が救われることがみこころと信じ、神の栄光の現れを何よりも望んで、ただ神の御名をあがめた。
【11月の暗誦聖句】
正しい人の救いは、主から来る。苦難のときの彼らの砦から。 (詩篇37篇39節)

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