Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2019年12月15日(第50号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :相馬敏之兄
第2礼拝司会 :本木 誠兄
奏    楽 :小澤良子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
主の祈り週報をご参照ください
賛美*109番
牧会祈祷牧師
賛美*聖歌623番
聖書ヨハネの福音書1章14~18節
説教『誰も見たことのない栄光』
喜多副牧師
献金121番
頌栄*541番
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「誰も見たことのない栄光」

副牧師 喜多大樹

 この序章の締め括りにして、ヨハネ福音書全体を貫く孤高のメッセージが聳(そび)え立っている。『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た(1:14)』
 第一に、「栄光」を「私たちはすでに見た」とヨハネは言う。その輝きとは、はじめで在り、神と共に在り、神であるお方の「ひとり子」の姿であった。「住まわれた」と訳されたこれは「幕屋(天幕)を張った」という意味である。注意深く、この「幕屋」という響きに耳を澄ませる時、いにしえからの迫りが聞こえてこないだろうか。
 第二に、この意味を思い巡らせつつ前に進むと、洗礼者ヨハネの叫び声が聞こえてくる。私たちは彼によって再び「この方」が誰であるのかを知ろうと願う。そして同時に次の問いも心に起こる。彼自身もまた何者なのかと。なんと御子が告げるに、彼の存在は旧約と新約の一つの区切りを担っているという(マタイ11:13-14)。モーセを通して与えられた「律法」と「預言者」という恵みの上に実現した「恵み」の宣告がここにある。
 最後に、「いまだかつて神を見た者はいない」とはどういう事なのか。極めて稀ではあるものの、幾人かの信仰者は神に呼ばれ、神と顔と顔を合わせてきたはずである。だが「見た者はいない」のである。ならば、ひとり子の神が「見た」その領域はいまだかつて人間の見たことのない領域なのではないか。
 『見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。(黙示録21:3)』
 父のふところにいる神が、神を示された。このお方は人となって私たちの間に住まわれた。私たちは、父なる神とひとり子なる神の間に栄光を見たのである。
【12月の暗誦聖句】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネの福音書3章16節)

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