2021年2月14日(第7号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | ローマ人への手紙13章8~10節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「愛は尽きない」齊藤副牧師 | |
献金 | 298番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「愛は尽きない」
副牧師 齊藤 耕
13章は社会の中に生きるクリスチャンのあり方を教えている。前半は、この世にある権威に従うこと。義務を果たすべきことが示されている。8節からは、「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。」と述べられ、社会の中で、だれに対しても、果たすべき義務があることを教えている。必ずしも、実際に借りたものがあるわけではない。しかし、クリスチャンとして社会の中に生かされ、どのように人々に向き合い、仕えていくべきなのか。それは、借りを返すような果たすべき義務である。
ただし、パウロは「互いに愛し合うことは別です。」と述べている。愛だけは借りとしてあっても良い。というよりも、愛は尽きることがなく、借りを返しきることができないからだ。愛の負債は持ち続ける。むしろ、愛を持ち続けてこそ、人に対して、その義務を果たせる。愛は、律法の要求を満たすからだ。
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」というみことばは、すべての戒めを要約している。「自分自身のように…」ということばを立ち止まって考える必要がある…。そもそも私は自分自身を、どのように思っているのだろうか。使徒パウロは、主イエス・キリストによる絶大な愛を負う者として自分を見ていた。キリストにあって生き「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」と、その父なる神の声を心に聴き続けていた。私たちは、この大きな愛をだれに返していくのだろう。