Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2021年8月22日(第34号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :宮崎雅之兄
奏    楽 :三友庸子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番 (会衆賛美)
祈り
賛美298番 (黙想)
聖書ヨハネの福音書3章16~17節
牧会祈祷牧師
説教「神の愛と痛み」牧師
献金聖歌392番 (黙想)
頌栄*賛美歌541番 (会衆賛美)
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「神の愛と痛み」

牧師 坂野慧吉 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書3章16節)
 これほど、「神の愛」を簡潔に記している「みことば」はないのではないかと思う。「神は愛です。」 (ヨハネ第一の手紙4章16節)とあるように、神の本質が「愛」なのである。それは、父、御子、御霊の三位一体の神が互いの関係性において、愛であることを意味している。この愛の神が、「世」を愛された。この「世」とは、この世界に住む人間を意味している。この世は、罪と汚れに満ちている。神は義なるお方であり、罪を裁かざるを得ない聖なるお方である。しかし、神はこの「世」を愛された。ここに「神の痛み」が生まれる。その具体的な現れとして、神は「そのひとり子」を世に与えられたのである。
 神が御子を世に与えられたということは、御子を世に明け渡したということである。その結果、「世」は、罪なき神のひとり子イエス・キリストを十字架につけて殺したのである。このキリストの十字架の死こそが、「神の痛み」の極みである。御子は自分からすすんで、十字架の上で、「世の罪」を負われていのちを捨てられたのである。そして御子は父の栄光の力によって、三日目に死から復活された。
 この「御子」を救い主として信じる者が永遠のいのちを得るのである。

9時25分から第1礼拝をライブ配信します。第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。(このウィンドウで表示します)


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【8月の暗誦聖句】
神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。 (ローマ人への手紙8章30節)