2022年1月16日(第3号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 阿部潤也兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | ローマ人への手紙16章25~27節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「私たちの福音」齊藤副牧師 | |
献金 | 賛美歌9番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「私たちの福音」
副牧師 齊藤 耕
ローマの兄弟たちに宛てた手紙は、頌栄をもって締めくくられる。この言葉によって、改めて手紙の全体をふり返る。一教会に宛てた手紙というよりも、世々の教会により読み継がれる福音の核心である。25~27節は一文となっている。根幹をなすのは、「あなたがたを強くすることができる方、知恵に富む唯一の神に、栄光がとこしえまでありますように。」である。パウロは神に栄光を帰す。神こそが、信仰者を強め、堅く立たせ、いのちの恵みを得させることができるお方だからである。パウロは、この神とそのみわざを「福音」として伝えた器に過ぎない。故に、ただ神をあがめる。このお方は知恵に富み、素晴らしいご計画をもって救いのみわざを成し遂げ、また、啓示されたのである。
パウロは、そのことを「私の福音」として伝える。何か特別な福音ではない。これこそが「福音」なのである。「福音には神の義が啓示されている」(1:17)それは、神が不義である罪人を義と認める義である。義なる神が、その義のゆえに人をさばくのではなく、神の(与えてくださる)義が福音には啓示されているということである。
今や、この福音はイエス・キリストによって現わされた。世々に隠されていた奥義が、みこころにより、預言者たちの書を通して明らかにされた。それは、すべての異邦人、すなわち、神を知らない人々にも、この福音が伝えられて、救いの恵みがもたらされるためである。パウロは、この福音を思うと神を讃美せずにはいられない。そして私たちも。これは「私たちの福音」だからである。