2022年3月20日(第12号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | ヨハネの福音書13章1~17節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「その極みのはじめ」喜多副牧師 | |
献金 | 賛美歌262番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「その極みのはじめ」
副牧師 喜多大樹
この福音書において三度目の「過越しの祭り」が迫っている。この祝祭を前に、ナザレ人イエスの最後の夜がやってくる。*
かつてエジプトの奴隷であったイスラエルの民はある夜のこと、いけにえの羊を屠った。その流された血は各家の鴨居と門柱に注がれた。神である主はその真夜中にエジプト全土を行き巡られ、血が注がれた家の前は過越され、犠牲の血が見当たらない家ではそのところに住まう長子を尽く打たれた(出12:1-36)。
神は、ご自分の民と異邦人を区別された。この時、神である主が「神の民」か「異邦人」かを区別なさったのは、血が注がれているかどうかであった。この民に加えられ、救われるのは、血肉による民族ではなく、「屠られた羊を共有しているか」なのだ。屠られた羊によって神との交わりは前進し、「人」は救われる。この過越しは神の全き愛を示す重要な「ひな形」である。
神の御子はこの「ひな形」を完成された。世にいるご自分の民を愛されたひとり子の神は、「彼らを最後まで愛された(ヨハネ13:1)」。ご自分が当局に連行されるその最後まで彼らを愛し抜かれたのはもちろんのこと、ここで「最後」と記されているのは「完成」をも意味する。ここにある「最後まで示された愛」は、主の洗足だけではなく、これから起ころうとしている全ての出来事を含んでいる。
*
この福音書は13章以降をもって、「愛の完成」の始まりを告げている。この朝、私たちは主イエスが示された愛の最終局面である「はじまり」を学ぶ。そこには、上着を脱ぎ、手拭いを腰にまとう姿が迫っている。