2022年4月3日(第14号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 相馬敏之兄 | |
第2礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | 詩篇23篇1~6節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「大牧者なる主を仰ぎ」牧師 | |
献金 | 賛美歌354番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「大牧者なる主を仰ぎ」
牧師 齊藤 耕
ダビデは自らの歩みをふり返り、主ご自身が私の牧者であり、今日まで私を守り、導き、養い育てて来られた恵みを思い起こしていた。主が伴におられるとき、私には何一つ不足がなく乏しいことがなかった。満たされていた。それは、何よりも主が伴に歩んでくださることが私にとっての最高の喜びだったからだ。主が伴におられるとき、私はありのままの私でいられた。自分が失われることなく、いのち(存在)の恵みを味わい知るのだ。
主は、『御名のゆえに 私を義の道に導かれた。』私は主の羊であったから、主はご自身のために私を導かれた。さまざまな試練を経験することはあったが主が先だって戦い、私をご自身のものとして守り、ご自身の道を歩ませたのである。
それで私は、『まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来る』ことを確信している。ここまでの歩みをふり返るならば、そのすべての日々が主のものであったことを思う。主に背を向けるような歩みをしてしまったこともある。しかし、「主のいつくしみと恵みが私を追って来る」ように、主は私を捉え続けてくださったことを知る。主のいつくしみ(ヘセッド)とは、神がご自身にかけて誓われた契約を実現するために現わされた誠実。私の方が主を忘れても、主は私を忘れず、どこまでもご自身の愛を貫いてくださることである。
そのいつくしみによって、私たちも今、主を仰ぎ、礼拝をささげる者とされている。