2022年4月10日(第15号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 熊谷 剛兄 | |
第2礼拝司会 : | 小澤雅信兄 | |
奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書15章33~41節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「なぜ十字架の道」牧師 | |
献金 | 賛美歌136番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「なぜ十字架の道」
牧師 齊藤 耕
主イエスは十字架への道を辿られた。その道は、ヴィアドロローサ(悲しみの道)と呼ばれる。その日、正午をむかえると全地は暗闇に包まれた。神のさばきが象徴された暗闇である。これが午後の三時まで続いた。その時、十字架上の主イエスは、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
そばにいた者たちは、主イエスの言葉を理解しなかった。「エリヤを呼んでいる」と誤解する者もいた。一人が走り寄り、主イエスの口もとに酸いぶどう酒を差し出し身体に力を与えようとした。エリヤが迎えに来るのか、興味本位で見届けようとしたからだ。しかし、主イエスはそれを受けられると、「完了した」と言って息を引き取られた。(参.ヨハネ19:30)
すると神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。聖所、もしくは、至聖所の入り口の幕である。このことは人が神の臨在に近づくことが出来るようになったことを象徴していた。この光景を見ていた百人隊長は、「この方は本当に神の子であった。」と言った。彼は異邦人である。また、主イエスに仕えてきた多くの女性たちも、この光景を遠くから見守っていた。