2022年4月24日(第17号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 五十嵐正俊兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | ルカの福音書24章30~43節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「キリストの復活と教会」坂野師 | |
聖餐式 | ||
献金 | 聖歌172番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「キリストの復活と教会」
協力牧師 坂野慧吉
キリストの教会の「シンボル」と言えば、「十字架」である。イエス・キリストが私たちの罪のために「十字架」で死なれたからである。しかし、「使徒の働き」に見られる、使徒たちの宣教を見ると、むしろ「キリストの復活」がメッセージの中心である。
「キリストの十字架」と「キリストの復活」は両方とも重要である。それではこの二つはどのように繋がっているのだろうか。
主イエスは、復活の後に十字架で傷ついた「手」と「足」と「脇腹」を弟子たちに見せられた(ルカ24章40節、ヨハネ20章20節)。主イエスは、十字架の傷を」そのままに、死者の中から復活されたのである。傷をもって復活されたキリストご自身が「十字架」と「復活」を同時に現されているのである。
使徒パウロは、「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ6章5節)と語り、「バプテスマ」と「聖餐」において、私たちはキリストの十字架の死にあずかり、復活のキリストと「一つになる」恵みを経験するのである。
礼拝における「説教」とともに「バプテスマと聖餐」の礼典が私たちに与えられた「神の恵み」を経験する「恵みの手段」なのである。神は信仰の弱い私たちをこのようにして助けてくださるのである。