2022年5月22日(第21号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 熊谷 剛兄 | |
第2礼拝司会 : | 小澤雅信兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書1章29~39節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 主イエスのおられるところ牧師 | |
献金 | 賛美歌228番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「主イエスのおられるところ」
牧師 齊藤 耕
礼拝を終えて会堂を出ると、主イエスは弟子たちを連れて、その足でシモン・ペテロの家に行かれた。漁の網を捨てて、家族を置いて、主イエスに従った弟子たちにとっては、拍子抜けする思いだったかもしれない。でも、主イエスはまさしくシモンの家に行かれた。むしろ家族に会うためである。ちょうど、その時熱を出して寝込んでいたシモンの姑は、主イエスによって癒された。そして、主イエスと人々にお仕えしたのである。夕方になり安息日が終わると、人々は病人や悪霊につかれた人たちをみな、主イエスのおられるところにつれて来た。多くの家庭では、家族が主イエスによって癒され、救われて欲しいと願ったのである。主イエスは、その一人ひとりをお癒しになられた。きっと何時間もかかったであろう。霊的、肉体的に大きく消耗する働きであった。この時、主イエスは、悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかったとある。ご自身の時に、ご自身の啓示によって、一人ひとりが救い主イエス・キリストを知るためである。
翌朝早く、主イエスは一人寂しいところに行き、静かに祈りの時を持たれた。それは、最も必要なことであった。主イエスとて、父なる神の前に祈り、真の安息を得ることなく、この働きを続けることは出来なかった。この豊かな交わりがあるからこそ、主イエスのおられるところには、真の癒しがなされ、神の家族の喜びと平安がおとずれるのである。