2020年1月5日(第1号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 312番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 298番 | |
聖書 | イザヤ書40章1~11節 | |
説教 | 慰めよ、慰めよ、わたしの民を | |
牧師 | ||
献金 | 399番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」
牧師 坂野慧吉
イザヤ書40章から66章は、「旧約聖書の福音」と言われている。ここには、預言者イザヤを通して語られる「神の慰めのことば」が満ちている。イスラエルの民は、神に対する不従順の罪のゆえに、様々な困難や試練に会い、また厳しいさばきを受けた。しかし、神はそのような神の民に対して「慰めのメッセージ」を語られたのである。
「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」反逆した民に対して、「わたしの民」とやさしく呼びかけられる神の愛を覚えさせられる。
「その苦役は終わり、その咎は償われている。」神はご自分で民の苦役を負って下さり、ご自分で民の罪を償って下さった。これが御子イエス・キリストによる贖罪である。
「そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている。」本来なら、民は自分が犯した罪の代償を自分で支払わなければならないのに、二倍の祝福を主の手から受けた。彼らは「神の民」「神の子」として愛され、守られ、導かれているのである。
私たち人間は、草のように、野の花のようにやがてしおれ、失われていく。しかし、「私たちの神のことばは永遠に立つ」
私たちはこのみことばの約束によって、「神の慰め」を受けているのである。