| 2020年5月10日(第19号) | ||
| 聖日礼拝 | ||
| 司会 : | 喜多大樹師 | |
| 奏楽 : | 神野真理姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 賛美* | 298番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 聖書 | ローマ人への手紙11章25~36節 | |
| 説教 | 計り知れないあわれみ齊藤副牧師 | |
| 献金 | 賛美歌239番 | |
| 頌栄* | 賛美歌541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 後奏 | ||
| 報告 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「計り知れないあわれみ」
副牧師 齊藤 耕
パウロにとっての同胞、御民イスラエルの救いは、彼の切なる願いであった。しかし、多くのイスラエル人は福音を受け入れず、救いの恵みに漏れていた。そのため、福音は異邦人に受け入れられていった。ここで、パウロは神の救いのご計画を説き明かす。第一に、今はつまずき救いの恵みから漏れているイスラエルの民は、神に退けられているのではない、ということである。彼らには、「残りの者」たちが、備えられていた。やがて、「残りの者」たちをルーツにイスラエルに救いの恵みが訪れる。
第二に、今イスラエルの民がつまずいている事実は、決して彼らが、そのまま滅びてしまうためではない。イスラエルのつまずきが、かえって異邦人の救いへと繋がり、イスラエルには「ねたみ」が起されて、やがて神に立ち返ることが期待されていた。そして、パウロは接ぎ木のたとえをもって、神が本来の神の民イスラエルを惜しまれている事実と、もし彼らが、不信仰の中に居続けなければ、再び、神の民として接ぎ合されること。それは、異邦人が神の民とされたことよりも、もっとたやすくなされるという事実を明かしている。
そして最後に、神の奥義として、やがて異邦人の救いが満ち、再びイスラエルに救いがかえって来る。こうして、イスラエルはみな救われるという真理が、明かされる。その為に、かつての異邦人も、今のイスラエルも、全ての人は不従順の中に閉じ込められた。しかし、それが故に、人は神の大きなご計画の中にある豊かな救いの恵み。神のあわれみの深さを知ることになる。「あぁ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう」とパウロは語っている。