Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2020年7月5日(第27号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :宮崎雅之兄
第2礼拝司会 :黒羽 徹 兄
奏    楽 :神野真理姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番 (会衆賛美)
祈り
聖書使徒の働き4章32節~5章11節
牧会祈祷牧師
説教『慰めの子か、欺きの子か』牧師
献金298番 (黙想)
頌栄*賛美歌541番 (会衆賛美)
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「慰めの子か、欺きの子か」

牧師 坂野慧吉 

 初代教会には、愛があった。彼らは自分が所有しているものを「自分のもの」と言わず、すべてを共有していた。それは彼らが、「復活のキリスト」との交わりを共有していたからであった。「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ人への手紙6章5節)
 キリストを信じる者たちの共同体では、地所や家を所有している者たちが、それを売り、代金を使徒たちの足もとに置いた。その金は、使徒たちの責任において、必要に応じて分け与えられたのである。
 使徒たちによって、バルナバ(慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、自分が所有していた畑を売り、その代金をもって来て、使徒たちの足もとに置いた。「慰め」ということばは、「傍らに立つ」という意味である。彼はこの後も、迫害者であったサウロ(パウロ)をエルサレム教会に受け入れるためにとりなし、そのパウロが異邦人伝道に導かれるために、彼を見出して連れて来た。まさに「慰めの子」であった。
 しかし、アナニアとサッピラ夫妻は、土地を売り、妻も承知の上で、代金の一部を自分のために取っておき、代金を偽って使徒たちの足もとに置いた。ペテロは、彼に対して「なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺いたのか。」と言った。アナニアはこのことばを聞いて倒れて息が絶えた。同じように妻も偽りを言い、倒れて息が絶えた。彼らは、人ではなく、「神を欺いた」罪によって死んだのである。彼らは「欺きの子」であった。
 この出来事は、それを聞いた人々に大きな怖れを与えた。

9時25分から第1礼拝のライブ配信を始めます。また第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。(別ウィンドウ/タブが開きます)


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【7月の暗誦聖句】
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。 (ヨハネの手紙第一 1章9節)