2020年7月5日(第27号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹 兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | 使徒の働き4章32節~5章11節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 『慰めの子か、欺きの子か』牧師 | |
献金 | 298番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「慰めの子か、欺きの子か」
牧師 坂野慧吉
初代教会には、愛があった。彼らは自分が所有しているものを「自分のもの」と言わず、すべてを共有していた。それは彼らが、「復活のキリスト」との交わりを共有していたからであった。「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ人への手紙6章5節)キリストを信じる者たちの共同体では、地所や家を所有している者たちが、それを売り、代金を使徒たちの足もとに置いた。その金は、使徒たちの責任において、必要に応じて分け与えられたのである。
使徒たちによって、バルナバ(慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、自分が所有していた畑を売り、その代金をもって来て、使徒たちの足もとに置いた。「慰め」ということばは、「傍らに立つ」という意味である。彼はこの後も、迫害者であったサウロ(パウロ)をエルサレム教会に受け入れるためにとりなし、そのパウロが異邦人伝道に導かれるために、彼を見出して連れて来た。まさに「慰めの子」であった。
しかし、アナニアとサッピラ夫妻は、土地を売り、妻も承知の上で、代金の一部を自分のために取っておき、代金を偽って使徒たちの足もとに置いた。ペテロは、彼に対して「なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺いたのか。」と言った。アナニアはこのことばを聞いて倒れて息が絶えた。同じように妻も偽りを言い、倒れて息が絶えた。彼らは、人ではなく、「神を欺いた」罪によって死んだのである。彼らは「欺きの子」であった。
この出来事は、それを聞いた人々に大きな怖れを与えた。