2020年7月12日(第28号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞 兄 | |
第2礼拝司会 : | 櫻井利一兄 | |
奏 楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | ローマ人への手紙12章2節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 『心を新たに』齊藤副牧師 | |
献金 | 298番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「心を新たに」
副牧師 齊藤 耕
あわれみによって救いの恵みに与かった私たちは自分のからだを神に献げて生きる。それこそ、私たちにふさわしい礼拝である。では、私たちのからだを献げるとは、どのようなことであろうか。パウロは、その消極的面と積極的面とを示して、神に献げる生き方を教えている。
前者は、『この世と調子を合わせてはいけない』である。「この世」とは、この時代のことで、次に来る世に対して、滅びゆく今の世である。「この世」の物は全て移り変わり過ぎ去ってゆく。にもかかわらず、人の心は流行を追うように、この世の物に引かれる。ここに霊的な戦いがある。私たちは、この世に流されず、次に来る永遠の世を見据えるべきである。
後者は、『心を新たにすることで、自分を変えていただくこと』である。ここでの「心」という言葉は、意思や判断力を意味する。具体的にものの考え方や人生観を一新して生き、自分を変えていただきなさいという勧めである。私たちを変えてくださるのは主である。ただ、私たちは心を一新しなければならない。『人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない』(ヨハネ3:3)からである。私たちはキリストともに古い自分に死に、キリストにあって新しいいのちに生かされる者である。そのいのちに生かされるときに、私たちはみことばに目が開かれ、『神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになり』神に献げて生かされる者とされていくのである。