2020年7月19日(第29号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 臼倉和弘兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | 詩篇90篇1~17節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 帰って来てください。主よ牧師 | |
献金 | 298番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「帰って来てください。主よ」
牧師 坂野慧吉
この詩篇には「人間の住まいとしての地」とその中にあるものの「創造」、「人間の堕落と罪」、さらには「神のあわれみと恵みによる罪の赦しと救いの喜び」、神の御業に与かる者としての「確かな業」が歌われている。まさに、聖書全体のテーマを記した壮大な詩篇なのである。私たちは、この詩篇を繰り返し読む中で、「とこしえからとこしえに神である主」を知り、この神のかたちに創造された「人間の尊さとはかなさ」を知る。そして、人間の罪は、神の御顔の光の前には、隠すことはできないし、罪に対する神の怒りから逃れることもできないことを知らされる。
このような中で、人は「帰って来てください。主よ。いつまでなのですか。あなたのしもべたちをあわれんでください。」と祈る。神のあわれみと恵みにより頼むことができるのは、主が私たちと真実な契約を結ばれたからである。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3章16節) 人間の罪に対する「神の怒り」と人間に対する「神の愛」から生じるのは「神の痛み」である。それは御子イエスの十字架に現される。
そして、私たちは自分の罪による痛みを癒されて神の子として、神のみわざに与かる者とされ、「私たちの手のわざを確かなものにしてください」と祈りつつ、神の栄光を現す者とされるのである。