2020年8月9日(第32号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 櫻井利一兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | ローマ人への手紙12章3~8節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 『キリスト者の謙遜』齊藤副牧師 | |
献金 | 298番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「キリスト者の謙遜」
副牧師 齊藤 耕
キリスト者の謙遜とはどのようなものだろうか。パウロは自分に与えられた恵み、すなわち、神様によって使徒とされた者として、兄姉一人ひとりに語り、また、これを求める。消極的には、「思うべき限度を超えて思い上がらないこと」である。自分を過大に評価し、自分に与えられていないものまで欲しがり、または、それを行使しようとしないことである。そうかと言って、自分を小さくする事がキリスト者の謙遜ではない。積極的に言うならば、「神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えること」である。自分を過小評価して神様が与えてくださっている賜物を認めないならば、むしろ、不遜である。神様があなたに与えられた素晴らしいものを慎んでお受けし、仕える姿こそキリスト者の謙遜である。
そして、この謙遜はキリストのからだなる教会を健康にして、素晴らしい愛の交わりを築き上げる。体には多くの器官があり、一つひとつが異なる働きをして、一つの体を形成しているように、私たちもキリストのからだの器官として、それぞれ異なる賜物が与えられており、異なるが故にそれぞれが役割を果たすことで互いに仕え合い、一つのキリストのからだなる教会を健全に立て上げていくのである。