2020年10月11日(第41号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 臼倉和弘兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | ローマ人への手紙12章13~16節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「共に生きる」齊藤副牧師 | |
献金 | 298番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
洗礼式(第1礼拝後) | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「共に生きる」
副牧師 齊藤 耕
『喜んでいる者たちとともに喜び、 泣いている者たちとともに泣きなさい。』なんと素晴らしいみことばだろうか。兄弟の喜びが私の喜びとなり、共に神を讃美することができる。兄弟の悲しみが私の悲しみとなり、共に泣き、共に主の前に祈り慰めを与えられる。このように生きることは、神の家族とされているクリスチャンにこそ与えられた特権である。
生まれながらの人には、この心が備わっていない。他人の成功や繁栄は自分の喜びとはならず、かえって妬みを引き起こす。あるいは、羨ましく思い、自分と比較して喜びが失せるかもしれない。むしろ、他人の失敗が自分の喜びとなることさえある。人の悲しみに同情することは比較的容易なことかもしれないが、しかし、本当に自分のこととして、泣いて祈ることはできないものである。
御子イエス・キリストの十字架により贖われて、神のものとされ、神の子として新しく生まれ、神と共に生きる中で、私たちは、兄弟の喜びを共に喜び、兄弟の悲しみを共に悲しむという、神の国に家族として生きる素晴らしい恵みを、この地上において、この共同体において味わい知ることになるだろう。
『見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。』詩篇133:1