2020年11月8日(第45号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 臼倉和弘兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
聖書 | ローマ人への手紙12章17~21節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「汝の敵を愛せよ」齊藤副牧師 | |
献金 | 298番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「汝の敵を愛せよ」
副牧師 齊藤 耕
主イエスは山上の説教で「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)と教えられた。事実ご自身は、敵対する民を、その罪と死から救うために十字架に命を捨てて愛を示された。そして、今も、父なる神の右に座し、とりなしの祈りをささげている。パウロは、そのような愛によって生かされているクリスチャンもまた、兄姉の互いの愛にとどまるだけではなく、(14)「迫害する者たちを祝福し」(17)「悪に悪を返さず」(21)「善をもって悪に打ち勝ちなさい」と、敵対する者たちにも愛をもって行動することを励ましている。
しかし、実際のところ私たちにそのようなことができるのだろうか。大切なものが奪われたり、心が踏みにじられるような経験をするときに、私たちの心には怒りが湧く。心を閉ざして冷たくなるだろう。ただ、主イエス・キリストが、敵対した私を赦して、私のためにご自身の命を捨てて、愛してくださったということだけが心の支えとなるのだが。
「愛する」ということは「好き」になる感情とは違う。意思によって表すことができるものである。その相手の祝福を祈る中で、こちらの感情も変えられていくのかもしれない。このようなことは、霊的な戦いである。悪に悪を返すならば、悪に負けてしまう。しかし、悪に対して、むしろ、善をもって報いるならば、私たちは信仰の勝利を得ることになるだろう。ここにクリスチャンの喜びがある。