2021年4月25日(第17号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 藤井邦明兄 | |
第2礼拝司会 : | 小澤雅信兄 | |
奏 楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | ヨハネの福音書2章13~22節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 失われた祝宴を前に喜多副牧師 | |
献金 | 121番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「失われた祝宴を前に」
副牧師 喜多大樹
新たな祝宴へとイエスは向かう。ガリラヤのカナにおける「婚礼の祝い」から、主イエスが次に足を運ばれたのは「過越の祭り」だった。*
カナでの祝宴にはぶどう酒がなかった。花婿と花嫁が結び合わされるその宴には喜びがなかった。この場所で、イエスは「水がめに水を満たせ」と仰せられ、「さあ、汲み上げなさい」という号令によって、その水はぶどう酒へと生まれ変わった。何かが欠落した宴に、ひとり子の神は来られたのだった。
エルサレムでの祝宴には多くのものがあった。欠如どころか、むしろ、売りに出される供え物が立ち並んでいた。イエスはこの場所で何を満たそうとしておられるのだろうか。神の宮の只中で、このお方は何を見られたのだろうか (ヨハ2:14)。私たちの主は縄で鞭を作り出し、両替人の金をまき散らし、台を打ち倒し、牛や羊をすべて追い出した。そして鳩を売る者たちには「それをここから持っていけ」と仰せられた。
かつてエジプトの奴隷であったイスラエルは、子羊の血が家々の二本の門柱と鴨居に流されたことによっていのちを得た。この宴は、奴隷であった「私たち」が救い出されたことを記念する大いなる日であった。
*
主イエスが訪れたこの祝宴には何かが失われている。過越の祭りを目前に、御子イエスは二つのことを語りかけられる。