2021年7月4日(第27号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
第2礼拝司会 : | 小澤雅信兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | 詩篇139篇23~24節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 神よ。私の心を知ってください | |
牧師 | ||
献金 | 333番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「神よ。私の心を知ってください」
牧師 坂野慧吉
この詩篇139篇はダビデの詩篇である。この詩篇ほど、「人の心の複雑さ、奥深さ」を歌っている詩篇はないと思う。ダビデは、その生涯をとおして様々な経験をして、「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。」と告白するようになった。
確かに、主はダビデのすべてを知っておられる。しかし、彼は「神よ。あなたの御思いを知るのはなんと難しいことでしょう。」 (17節)と歌う。このことはダビデを謙遜にさせ、常に主のみこころを知ることを求める「祈り」へと彼を導いた。
次に、ダビデは「自分が自分の心を十分には知らない」ことに気づかされる。自分の心には主を慕い求める心も、敵を憎む心も、人を愛する心もある。そしてことばに現わされない、自分でも分からない心の深い暗闇があることも感じている。「自分を知る」ことと「神を知る」ことは実に深いところで繋がっているのだ。
ダビデは祈る。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ 私の思い煩いを知ってください。」と。このように祈ることによって、彼の心は神に対して開かれて行く。さらに「私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。」と祈って、自分の罪によって傷ついた、自分でも自覚していない道を神に見ていただき、その傷を通して、さらに深い神との「とこしえの交わりの道」に導かれることを求めているのである。