2021年7月11日(第28号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | ヨハネの福音書3章1~15節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「神の不思議が語られる (2)」 | |
喜多副牧師 | ||
献金 | 332番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「神の不思議が語られる (2)」
副牧師 喜多大樹
「どうしてそのようなことがあり得るでしょうか (3:9)」イスラエルの教師はこの夜、最後の質問をイエスに投げかける。この問いは直訳すると「どのようにして、そう在れるでしょうか」である。*
つまりこの箇所でニコデモは主イエスの教えについて可能か不可能かを論じているのではない、ということだ。「このようなことは不可能でしょう」と神の教師のことばを一蹴しているよりかは、むしろ、「神の国」をどこまでも愚直に求める姿がここにあり、「新しく生まれること」への渇望と気迫のようなものにも思われる。
神の教師は「イスラエルの教師には分からない」と、いくらか辛辣にも感じる言葉で口火を切る。そうして「まことに、まことに、あなたに言います」と、この学びを終結される。
第一に主イエスは、「わたしたちは知っていることを話し、見たことをあなたたちに証しした」と言う。私たちの耳にはすでに聞いた「証し」があるというのだ――それは何だろうか。第二に、私たちは地上のことをすでに聞いているがそれを信じず、さらに天上のことをも信じない、ということが明かされる。――そもそも私たちは地上のことを知っているのだろうか。第三に、ひとり子の神は、「永遠のいのち」について語られる。私たちの未知なる「天」から降ってきた人の子は、上げられなければならないという――永遠のいのちとは何か。
*
二人の教師が向かい合ったこの時刻、私たちは神の国を仰ぎ求め、新しく生まれることの羨望を知る。そしてその先に提示された「永遠のいのち」について思いを向ける。