2021年7月18日(第29号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | ローマ人への手紙15章1~6節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 心を一つに声を合わせ齊藤副牧師 | |
献金 | 191番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「心を一つに 声を合わせ」
副牧師 齊藤 耕
教会の中には、強い人も弱い人もいる。パウロは強い人であったが、『力のある(強い)者は、力のない人たちの弱さを担うべき』だと述べている。それは、人の弱さを共に「負う」ことであり、その人の信仰のために「支え」となって生きることである。そのことは、強い人にとって、自分を喜ばせることではないが、パウロは強い人の負うべき義務であると考えている。むしろ、隣人を喜ばせるべきことと。なぜなら、キリストもご自分を喜ばせることはなさらなかったからである。『あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった』(詩篇69)と書いてあるように。キリストの関心は、人の救いの為に、父なる神のみこころを行うことであった。すなわち、神への嘲り(敵意)の為に十字架にご自身のいのちをささげることである。そして、この嘲り(敵意)とは、パウロ自身のものであり、私たち自身の神に対しての罪であった…。
5,6節は、祈りとも、兄弟たちへの励ましの言葉とも読み取れる。事実、その両者であろう。忍耐と励ましの神が、私たちに臨み、私たちを互いに同じ思いにさせてくださる。また、私たちは自らの意思で、心を一つにし、声を合わせて、神をほめたたえる。
私たちは、主にあって一つである。兄姉の喜びを自分のこととして願う。互いに弱さを担い合い、互いの霊的成長のために益となることを図る。その中で、いよいよキリストの愛に満たされた交わりの教会が建て上げられていく。