| 2021年9月5日(第36号) | ||
| 聖日礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 相馬敏之兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
| 奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
| 祈り | ||
| 賛美 | 298番 (黙想) | |
| 聖書 | ヨハネの福音書3章16節 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 説教 | 「永遠のいのち」牧師 | |
| 献金 | 聖歌392番 (黙想) | |
| 頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 後奏 | ||
| 報告 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「永遠のいのち」
牧師 坂野慧吉
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)神の愛を信じるということは、「御子を信じる」ということである。「御子を信じる」ことによって、私たちは、御子イエス・キリストと結合する。パウロは、「神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。」(第一コリント1章9節)と記している。また、「キリストにあって」(In Christ)ということばで、「キリストとの結合」「キリストとの交わり」を表わしている。
神がキリストにおいてなされたすべての御業は、私たちがキリストに結合することによって、私たちのものとなる。
私たちは、「キリストにあって」選ばれ、「キリストにあって」死と復活と高挙とにあずからせていただいているのである。また、良い行いをするために、「キリスト・イエスにあって」造られたのである。「キリストとの結合」は私たちを一つにし、私たちの死によっても、断絶することはない。「永遠のいのち」とは、「御父また、御子イエス・キリストとの交わり」である。