2021年10月17日(第42号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 相馬敏之兄 | |
第2礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | ヨハネの福音書4章1~26節 | |
(朗読:4章11~15節) | ||
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 深い井戸がそこにある喜多副牧師 | |
献金 | 333番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「深い井戸がそこにある」
副牧師 喜多大樹
深い井戸がそこにある。時刻は正午、陽が最も高く昇るその場所で主イエスはある人を待っていた。*
かつて、夜に主イエスを訪れたニコデモを思い起こす。そこで彼は「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国を見ることはできない (3:5)」という主のことばを聞いた。――水と御霊とは何なのだろうか――。イスラエルの教師ニコデモはこの意味が分からなかった。そうして、「どのようにして、そう在れるのでしょう (3:9)」と問いかけた。私たちも考えてみる。水と御霊によって生まれるとはどういうことなんだろうか。
サマリヤの女性はヤコブの井戸を訪れた。すると、この場所では会うはずのない人がそこに座っていた。彼女はただ水を求めていた。彼女はただその井戸から水を汲みあげたいだけなのだ。その傍らにいるお方と出会うつもりではなかった。しかし彼女はこの人のことばから逃れられなかった。
主イエスはこの女性に「 (あなたの)水を飲ませてください (4:7)」と言われる。そして「あなたの夫をここに呼んできなさい (4:16)」と言われる。さらには「あなたがたは知らないで礼拝している (4:22)」と言われる。
私たちはこの昼の出来事から二つの水源を見比べることになる。ひとつは、この女性がこれまでの生涯で汲み上げ続けた深い井戸。そしてもうひとつは、決して渇くことのない永遠のいのちが湧き出る泉である。
*
誰もがきっと彼女と同じ思いをもっている。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい」と。しかしそのために彼女には知るべきことがある。聞くべきことがある。
主イエスは、彼女の井戸の傍らで待っておられる。