Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2021年11月28日(第48号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :相馬敏之兄
第2礼拝司会 :黒羽 徹兄
奏    楽 :峯 弥生姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番(会衆賛美)
祈り
賛美298番(黙想)
聖書出エジプト記3章13~17節
牧会祈祷牧師
説教「神よ。あなたの名は何ですか」
牧師
献金賛美歌66番(黙想)
頌栄*賛美歌541番(会衆賛美)
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「神よ。あなたの名は何ですか」

牧師 坂野慧吉 

 ホレブの山で、モーセに現れた神は、彼に「エジプトに下り、イスラエルの民を救い出せ」と命じた。モーセが「イスラエルの子らが、神の名を尋ねたら、何と答えたら良いでのしょうか」と尋ねると神は、「わたしは『わたしはある』という者である。」と答えた。「わたしはある」という名は、「はじめから存在し、すべての存在の根源となる存在、そして永遠に存在される存在」を意味している。このことばは、かつては「エホバ」と読まれ、また、その後「ヤーウェ」または「ヤッハウェ」と読まれる名である。
 この時より、何百年も前に、先祖ヤコブは神と格闘し、「あなたの名を教えてください」と願ったが、「なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、彼を祝福された。この時には、神はご自分の名をヤコブには教えられなかったのである。
 また、モーセの時代から約1500年後、「ことばは人となって私たちの間に住まわれた。」(ヨハネの福音書1章18節)と記されている、イエス・キリストは自分を捕らえるためにやって来た人々に、「エゴー・エイミ」つまり、「私である」と言われた。(ヨハネの福音書18章6節)それはモーセに「わたしは、『わたしはある』という者である」と語られた、同じ神であることを表わしている。
 この永遠の神が、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であり、「私の神」であり、「私たちの神」なのである。

9時25分から第1礼拝をライブ配信します。第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【11月の暗誦聖句】
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節)
【12月の暗誦聖句】
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2章11節)