2021年12月12日(第50号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番(黙想) | |
聖書 | ヨハネの福音書4章46~54節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 彼の中で何かが変わる喜多副牧師 | |
聖餐式 | ||
献金 | 賛美歌121番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「彼の中で何かが変わる」
副牧師 喜多大樹
主イエスの足は再び「ガリラヤのカナ」の地を踏んだ。――ガリラヤのカナ――ここはかつて婚礼のためにイエスと弟子たちが招かれ、祝宴が開かれた場所である(ヨハ2:1-11)。*
以前、この場所に主が訪れた時、その祝宴には「ぶどう酒」がなかった。「喜び」の象徴とされるこの杯が婚礼の場に「ない」。これは、本来ならばそこに必ずあるべきものが損なわれていることを示している。言わば「失われた喜びの場所」にイエスはやって来られた。そうして、横たわった六つの水瓶は引き起こされ、その空洞には「水」が満たされた。そしてその水は「ぶどう酒」になったのである。この出来事が「最初(第一)のしるし」である。
今朝の箇所をヨハネは「第二のしるし」として私たちに示している。この福音書において「第○○のしるし」と記される表現はこの後にはもう二度とない。これが最後である。つまりこの事は、おそらくこの二つの出来事が何らかの形でついになっていることを私たちに知らせている。一度目の訪問では、主イエスが花婿と花嫁に会いに来た。しかし今度の訪問では、イエスのところに「王室の役人」が会いに来た。
この人物はカナの地から30キロ近くも離れたカペナウムより繰り出して息子の癒しを懇願した。彼の息子は死にかかっていた。その状況は緊迫を伺わせ、一刻の猶予もないように思われる。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください(4:49)」この告白は主イエスの耳に確かに届く。
*
最初のしるしにおいて、水瓶に満たされた「水」は「ぶどう酒」へと新しく変えられた。私たちは、この第二のしるしにおいてもまた何かが変わるその様を見届けるよう招かれている。