2022年5月1日(第18号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書1章16~20節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 主イエスが呼ばれる声を聴く牧師 | |
献金 | 賛美歌338番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「主イエスが呼ばれる声を聴く」
牧師 齊藤 耕
『わたしについて来なさい。"人間をとる漁師" にしてあげよう。』このことばは、シモンに、アンデレに、ヤコブに、ヨハネに、そして、私たちに語られた主イエスの招きである。
彼らは元々漁師であるから、その働きの苦労と、漁獲における喜びは、誰よりも知るところであった。“人間をとる漁師”という言葉に、彼らはどのように心を動かされたのだろうか。
主イエスはガリラヤ湖のほとりで、シモンとアンデレが漁をしているのをご覧になられた。そして、声をかけられた。『わたしについて来なさい!』 人を呼ぶタイミングとしては、良いとは言えない。彼らには手掛けている仕事があった。その仕事によって支えられている暮らしもある。しかし、『彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。』
また少し先に、ヤコブとヨハネがいた。主イエスは、彼らが次の出漁に備えて網を繕っている姿を、ご覧になられた。そして、すぐに呼ばれたのである。『すると彼らは、父ゼベダイを雇い人たちとともに舟に残して、イエスの後について行った。』
主イエスがご覧になられていた彼らの姿は、どのように映っていたのだろうか。一介の漁師として。その暮らしの中で。特別な才能を持つわけでもない。ただ、素直に主の召しにこたえる者たちである。