Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2022年12月25日(第52号)
クリスマス礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :五十嵐正俊兄
奏    楽 :神野真理姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
賛美*聖歌623番(1~3節)
牧会祈祷牧師
賛美*聖歌623番(4~5節)
聖書ヨハネの福音書1章14節
説教「受肉したキリスト」牧師
聖餐式
献金111番
頌栄*541番
祝祷*牧師
後奏
報告
洗礼式(第2礼拝後)
(*の部分はご起立下さい。)

「受肉したキリスト」

牧師 齊藤 耕 

 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」 すなわち、永遠の神、万物の創造者である御子キリストが人となられ、この地上に住まわれたのである。「人」と訳された言葉の直訳は「肉」。敢えて露骨な表現で当時の異端・仮現論者(受肉否定)を一蹴した。使徒ヨハネは、この方を見、声を聴き、手で触れ、この地上をともに歩まれたのである(Ⅰヨハネ1:1)。また、「住まわれた」とは「幕屋を張った」の意味で、ユダヤ人にとっては、荒野を旅したイスラエルの民が「会見の天幕」で栄光に満ちた神の臨在に触れた光景を連想させるものであった。実に、神の御子が人となり、この地上において、私たちとともにおられる(インマヌエル/マタイ伝1:23)のである。
 使徒ヨハネは、ナザレのイエスに「栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光」であった。それは、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、しもべの姿をとり、私たちと同じ人となり、低きところにくだられたお姿だ(ピリピ2:6)。人として歩まれ、渇くことも、空腹も経験された。人としての痛み苦しみも主イエスとともにあった。
 それ故に、主イエスは、この地上で肉において歩み、心において“うめき”続けている私たちの痛み、苦しみ、悲しみを知っておられる。そして同情し、今もとりなし続けてくださっている。
 また何よりも、受肉したキリストは、ご自身の十字架の死と復活によって、私たちの死ぬべきからだを生かし、永遠のいのちを与えて、恵みとまことを実現してくださったのである。

9時25分から第1礼拝をライブ配信します。第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【12月の暗誦聖句】
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネの福音書1章14節)