2023年1月15日(第3号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 相馬敏之兄 | |
第2礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 312番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | ヨハネの福音書15章12~17節 | |
説教 | わたしはあなたがたを友と呼んだ | |
坂野師 | ||
献金 | 351番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「わたしはあなたがたを友と呼んだ」
協力牧師 坂野慧吉
十字架にかかる前の夜、過越しの食事の席で、主イエスは弟子たちに語られた。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15章5節)
「キリストとの結合」こそ、キリストが十字架の上で成し遂げられた「贖い」が、私たちのものとされる道である。聖書は「キリストと教会の結合、一体性」について、さまざまな例で示している。「結婚」「頭とからだ」「土台と建物」「羊飼いと羊の群れ」「ぶどうの木と枝」そして、「キリストと教会の結合」は、キリストが私たちを「友」と呼んでくださることによって、実現するのである。
「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と言ったキリストは「自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。 ・・・その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された」(ペテロ第一の手紙2章24節)
私たちは、自分の親を選ぶことはできない。しかし、「友」を選ぶことはできる。主イエスは言われた。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」(ヨハネ15章16節)