Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2023年1月15日(第3号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :相馬敏之兄
第2礼拝司会 :宮崎雅之兄
奏    楽 :小澤良子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*312番
牧会祈祷牧師
賛美*262番
聖書ヨハネの福音書15章12~17節
説教わたしはあなたがたを友と呼んだ
坂野師
献金351番
頌栄*541番
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「わたしはあなたがたを友と呼んだ」

協力牧師 坂野慧吉 

 十字架にかかる前の夜、過越しの食事の席で、主イエスは弟子たちに語られた。
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15章5節)
 「キリストとの結合」こそ、キリストが十字架の上で成し遂げられた「贖い」が、私たちのものとされる道である。聖書は「キリストと教会の結合、一体性」について、さまざまな例で示している。「結婚」「頭とからだ」「土台と建物」「羊飼いと羊の群れ」「ぶどうの木と枝」そして、「キリストと教会の結合」は、キリストが私たちを「友」と呼んでくださることによって、実現するのである。
 「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と言ったキリストは「自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。 ・・・その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された」(ペテロ第一の手紙2章24節)
 私たちは、自分の親を選ぶことはできない。しかし、「友」を選ぶことはできる。主イエスは言われた。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」(ヨハネ15章16節)

9時25分から第1礼拝をライブ配信します。第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【1月の暗誦聖句】
十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。(Ⅰコリント人への手紙1章18節)