2023年1月22日(第4号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 熊谷 剛兄 | |
第2礼拝司会 : | 小澤雅信兄 | |
奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 66番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | マルコの福音書 | |
5章21~24,35~43節 | ||
説教 | 恐れないで ただ信じていなさい牧師 | |
献金 | 355番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「恐れないで ただ信じていなさい」
牧師 齊藤 耕
娘のいのちが失われることをヤイロは恐れていた。ユダヤ教の社会の中で会堂司として人々からの尊敬と地位を得ていた彼であるが、恥も外聞もなく主イエスの足もとにひれ伏し娘の癒しを願った。そこで、主イエスは彼と一緒に娘の待つ家に向かった。ところが途中で12年の間、長血をわずらっている女の癒しのために、彼らは足止めされることになる。そうこうしているうちに、ヤイロの家から人が来て娘の死が知らされた。もう手遅れということである。ヤイロはその知らせをどのように受け止めたのか。
主イエスはヤイロのそばでその話を聞いていた。けれども、その話を無視して、「恐れないで、ただ信じていなさい。」と言われた。ヤイロの心には恐れがあったからである。死別の先に、娘とともに生きた自分自身が失われる恐れである。人の世において、死は終わりであり断絶を意味した。これ以上、主イエスに願っても仕方のないことと思われた。
しかし、主イエスは、「恐れないで、ただ信じていなさい。」と。「その子は死んだのではありません。眠っているのです。」と言われた。そして、娘の手を取って「タリタ、クム。」と言われた。主イエスが、実際に語られたアラム語が、敢えて記されている。訳すと「少女よ、起きなさい。」である。主イエスのことばによって、少女は救われて生きられるようになった。12歳であった彼女は起き上がり歩き始めた。主イエスは少女に食べ物を与えるように言われた。
私たちの求める真のいのちも主イエスのことばによって与えられる。みことばによって、眠っていた魂が起こされ、主イエスと一緒に歩き出す。このいのちは死んで終わりではない。