2023年1月29日(第5号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
第2礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
主の祈り | 週報をご参照ください | |
賛美* | 66番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | 創世記3章1~7節 | |
説教 | 「キリスト者であること(3)」 | |
喜多副牧師 | ||
献金 | 338番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「キリスト者であること(3)」
――覆う者 ――
副牧師 喜多大樹
キリスト者とは何なのか。私たちは最も根本的なものとして「神に造られた者」という土台に立っている。大地のちりで形造られた人は、「土」という、神の御手を求める柔らかさを自らの性質としながら「自分」という器を理解しようともがいている。*
はじまりの人に「試みる者」が近づいてくる。なぜわざわざやってくるのか。どうして今なのか。その人はいのちを尽くし、脇腹を裂いてまで「骨からの骨、肉からの肉」と呼ぶに至る助け手と歩み始めたのに。ふたりは一体として数えられ、互いの姿を恥とせず、むしろ互いを明らかにしながらその一歩を踏み始めたのに。
「蛇」として現れたこの生き物は、この人の妻に言葉を語る。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」何がこの問いの目的なのか。蛇は、はじまりの人には直接語らない。そうではなく、彼の最愛の人から開始して何かをしている。
こうしてふたりの目は開かれた。「騙す者」の言葉によって彼らは心を動かし、神が食べてはならないと語られたその実を食した。まずふたりが目に留めたのは「自分たちの裸」であった。彼らはいちじくの葉をつづり合わせた。そして、自分たちのために腰の覆いを作り、互いを隠した。
*
男と女の肉体は生きている。彼らはまだ呼吸している。その手を動かし、自らを秘めようとしている。しかし、神は「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と仰せられた。彼らはその実を確かに食した。ふたりのうちで何かが死んだのだ。