| 2023年10月15日(第42号) | ||
| 聖日礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 阿部潤也兄 | |
| 奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
| 賛美* | 10番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 262番 | |
| 聖書 | 詩篇27篇 | |
| 説教 | 「主の麗しさに目を注ぎ」牧師 | |
| 献金 | 291番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 後奏 | ||
| 報告 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「主の麗しさに目を注ぎ」
牧師 齊藤 耕
ダビデは一つの願いに心を向けていた。それは、「いのちの日の限り、主の家に住むこと」だった。残された人生のすべての日々において、主とともに生きることだ。「主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。」これまでの人生をゆっくりと振り返ると、主が、私の光、救い、砦であったことを思う。悪しきものが私に襲いかかろうとしても、常に守られてきた。主は、私をかくまい、高く上げて勝利に導かれた。私は、主を礼拝し、ほめ歌を歌って来たのである。だから、主がともにおられるならば、何も恐れるものはないと確信していた。
しかし、いつも主がともにおられるという自覚があった訳ではない。祈りが届いているのかわからず、「聞いてください」「答えてください」と心が叫んでいた。見捨てられる恐怖には苛まれ続けた。ただ、神様だけが、私を取り上げてくださると信じていた。
もしも、この地上の人生の中で、主のいつくしみがあることを信じていなかったなら、きっと、私は、生きていけなかったと思う。
私は今も、「待ち望め 主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。」と自らの心に語りかけている。これは、ダビデの告白である。