2023年10月22日(第43号) | ||
召天者記念礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 尾崎 証兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
主の祈り | ||
賛美* | 312番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | コリント人への手紙第一 | |
13章8~13節 | ||
説教 | 「信・望・愛」牧師 | |
献金 | 298番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「信・望・愛」
牧師 齊藤 耕
人は、その人生の終わりになにを思うのか。私は、天に召された兄姉の亡骸に対面し、そのお顔が穏やかであることをいつも思う。どのような最期であれ、地上の営みを全うして、神の御許に帰るからだろう。*
使徒パウロは、「いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」と語っている。人生の終わりに最後まで持ち続けるものも、「信仰と希望と愛」であると思う。愛は信仰と希望を包含している。そして永遠である。
ここに言う「愛」とは、キリストの「愛」である。Ⅰコリント人への手紙13章は「愛」の章と言われるが、「愛」と書かれてあるところを「キリスト」と読みかえると深く意味が読み取れる。私たち人間には、究極的には愛は無い。しかし、キリストの限りない愛に触れるときに、その愛に生かされる。だから、パウロは「愛を追い求めなさい。」(14:1)と述べる。
今はまだ、(昔の)鏡に映った姿のようにキリストをぼんやりと見ている。しかし、「そのとき」には、顔と顔を合わせて見るように、はっきりと愛のキリストを知るようになる。そして、キリストの愛に抱かれる喜びに満たされる。私たちは、信仰と希望と愛を持ちながら、「そのとき」を迎える。