| 2023年11月5日(第45号) | ||
| 子ども祝福礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
| 奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 主の祈り | 週報をご参照ください | |
| 子どもプログラム(第一のみ) | ||
| ・子ども賛美「祈ってごらん」 | ||
| ・子どもメッセージ | ||
| ・祝福の祈り | ||
| 賛美* | 11番(第二のみ) | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 262番 | |
| 聖書 | マルコの福音書9章14~29節 | |
| 説教 | 「祈りによらなければ」牧師 | |
| 献金 | 291番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 報告 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「祈りによらなければ」
牧師 齊藤 耕
ある人が、口をきけなくする霊につかれた息子を弟子たちのところに連れて来た。この霊は、その子を引き倒し、泡を吹かせ、歯ぎしりして体をこわばらせ、殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込んでいた。しかし、弟子たちには、その霊を追い出すことができなかった。主イエスは、「ああ、不信仰な時代だ。…その子をわたしのところに連れて来なさい。」と言われた。そして、父親にいつからそのような状態なのかと尋ねた。実際には、絶望的であることを認識させるためであった。
父親が主イエスに縋る思いで、「おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」と言うと、主イエスは、「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでも出来るのです。」と言われた。すると父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
父親は、主イエスに縋るしか助かる道は無いと悟った。同時に、自分が不信仰な者であることを自覚していた。しかし、真実な思いをぶつけた父親の告白は、信仰の神髄を語るものであった。すなわち、信じることができない。しかし、そのような不信仰なものを憐れんで下さり、助けて下さる主イエスに信頼したのである。
すると、主イエスは汚れた霊を叱って、この子から追い出された。あとから弟子たちが、なぜ、霊を追い出すことができなかったのかと、そっと尋ねた。主イエスは、「祈りによらなければ」と言われた。