Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2023年11月12日(第46号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :熊谷 剛兄
第2礼拝司会 :栗原 誠兄
奏    楽 :田中美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*7番
牧会祈祷牧師
賛美*262番
聖書マルコの福音書9章30~37節
説教「仕える者の喜び」牧師
献金271番b
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「仕える者の喜び」

牧師 齊藤 耕 

 弟子たちの間では、「だれが一番偉いか」ということが話題になっていた。そこで、主イエスは言われた。「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」
 主イエスが教えられたことは、神の国に生きる価値観である。それは、人が人の上に立つようなものではない。むしろ、人々の中で最も低いところにあり、仕える者として生かされることである。「仕える」とは、本来奴隷が食卓に仕え世話をすることを意味した。すなわち、他の人が養われ生存するために、自分を差し出して労苦することである。人を上から見ていて出来ることではない。最も低い位置から見て、自分自身をささげてこそなされる働きである。
 それから、主イエスは一人の子どもの手を取って、弟子たちの前に立たせ、腕に抱いて彼らに言われた。「だれでも、このような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。」 主イエスの目線は子どもとともにあった。当時のユダヤの社会では、子どもは価値の低いものと考えられていたが、主イエスと子どもは一つになられているようであった。「だれが一番偉いか」と論じ合っていた弟子たちには、そのお姿がどのように映ったのだろうか。
 最も低いところで、他の人が生かされるために仕えるときに、主イエスとともにあり、神に仕える者として、喜びのうちを生きるのであろう。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【11月の暗誦聖句】
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙 8章38~39節)