2023年12月3日(第49号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 121番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | 創世記26章12~33節 | |
(朗読:24~33節) | ||
説教 | 「キリスト者であること(7)」 | |
――井戸を掘る――喜多師 | ||
献金 | 338番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「キリスト者であること(7)」
――井戸を掘る――
副牧師 喜多 大樹
彼の父はその名前を「アブラハム」と呼ばれた。「あなたは祝福となりなさい(創12:2)」という召命は、この人の子孫によってすべての人がまことの神と出会う、その道をひらくものであった。もし彼の父を別の名で呼ぶなら、「祝福」と呼ばれるだろう。*
「祝福」と呼ばれた息子の名前はイサクであった。彼は神のことばの成就として生まれた。年老いた父と母の待望の子どもとして。まさに奇跡の子どもとして誕生した。父の齢は百を超え、母も九十を超えていた。人には不可能に思われる神のことばは、彼の誕生によってまことに実現した。
彼は愛されて生きた。乳離れのときには、盛大な祝宴が催された(創21:8)。きっと彼はこう感じて年齢を重ねたことだろう。わたしはこの世界に生きていていいんだと。彼はすべてのものを父から受け継いだ。祝福の息子は、自分もまた誰かの祝福となるべくその心を育んだ。
しかし彼は一度死にかけた。最も自分を愛する人に連れられて、山に上った。そこで死ぬためである。私たちは思う。血を流すであろう息子を伴って歩く父の顔にはどのような皺が刻まれていたのだろうかと。また、ひとり子の目には、父の顔がどのように映っていたのだろうかと。「神を礼拝する」と聞いて進んだ旅路には、ささげものとしての「羊」がいない。いよいよ父とふたりになったその時、彼は悟った。わたしが死ぬのだと。
*
もし彼にも別の名前が呼ばれるなら、それは「平和」である。彼は父がいのちをかけて信じた神を知っている。唯一の恐れるべき方を知っている。そのような人の歩みはどんな足跡を残すのだろうか。地から湧く泉を巡って、彼は旅をしている。
そこに深い井戸がある。