2023年12月10日(第50号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
第2礼拝司会 : | 阿部潤也兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
主の祈り | 週報をご参照ください | |
賛美* | 98番 | |
牧会祈祷 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | ヨハネの福音書4章1~26節 | |
説教 | もうひとつの井戸がある喜多師 | |
献金 | 331番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷* | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「もうひとつの井戸がある」
副牧師 喜多 大樹
ここにひとつの井戸がある。地からこんこんと滲み出るこの水は、「平和」の息子ヤコブが昔に掘った井戸だ。時刻はおよそ第六の時。つまりその日、太陽が一番高く顔を見せる時刻である。*
主イエスはサマリアを通って行かなければならなかった。なぜ、通らなければならなかったのか。二つの可能性が私たちの前に置かれている。ひとつは、このサマリアは、南のユダヤから北のガリラヤを結ぶ最短経路。イエス一行はできるだけ早く移動しなければならない状況にあり、それゆえサマリアを通路にしなければならなかった。もうひとつは、この旅路に自分が出会う必要のある人物がいる、ということ。おそらく両方なのだと思う。
主イエスは疲れていた。洗礼者ヨハネよりも多くの弟子が集まり始め、それに伴い、妬みが起こった。パリサイ人たちはイエス活躍の知らせを聞き、何かを仕掛けようと考えていたのだろう。主はそれを察し、ガリラヤに向かった(4・1-3)。不測の事態によって、思いがけない進路に舵を切り、普通ならば通らない道に足を踏み入れたそのとき、御子はひとりの女性と顔を合わせる。
主イエスは悟る。わたしがサマリアを通らなければならなかったのは、この時のため、彼女と出会うためであったのだと。わたしはこの人の声を聞き、この人に語らなければならない。そして問いかけよう。さあ、父の心をこの人と分かち合おう。
*
ヤコブの井戸は深く、この水を汲み上げるためにはあきれるほどの労苦が求められている。でも、やめようと思ってもやめるわけにはいかない。人は水を必要としており、これがなければ生きられない。ヤコブの娘は、おそらく誰にも会わずにすむ時刻を狙ってここにきた。
しかしそこにイエスが座っている。