Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2023年12月31日(第53号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :宮崎雅之兄
第2礼拝司会 :尾崎 証兄
奏    楽 :田中美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*66番
牧会祈祷牧師
賛美*262番
聖書ガラテヤ人への手紙6章11~16節
説教「十字架のもとに生きる」牧師
献金331番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「十字架のもとに生きる」

牧師 齊藤 耕 

 私たちは、この一年間礼拝において讃美歌262番を讃美してきた。十字架のもとに集い、十字架を仰ぎ、十字架の恵みのゆえに栄光の主を望み見て来た。改めて、「十字架のもとに生きる」とは、どのような生き方であるのか、思いを馳せたい。
 ガラテヤ人への手紙は、救いは「律法によらず、信仰による」ということがテーマである。その根拠に十字架がある。しかし、教会の中には、その信仰を惑わす者たちがいた。兄弟たちに「割礼」を強いていたのである。パウロは、ここで割礼の有無よりも、彼らの肉的な動機に問題が深いことを伝える。
 そのような者たちは、「外見を良くしたい」者たち、「迫害を受けたくない」とする者たちであることだ。すなわち、割礼派の支持者を集めて、ユダヤ教の優越を主張しつつ、自分たちの勢力を拡大していた。また、そのことによってユダヤ教徒からの迫害を回避し、十字架の恵みを無きものにしていた。世に妥協し、自らを誇りたいと願っていたのだ。
 しかしパウロは、「十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。」と述べた。むしろ、彼には誇れるものが沢山あった。しかし、キリストの十字架の恵みのゆえに、それらはちりあくただと考えていた(ピリピ3:8)。キリストとともに十字架につけられたパウロの心は、もはや世に(肉の思いに)縛られることはなかった。その古き人は十字架に死に、十字架の死より復活したキリストの新しいいのちに生かされていたのである。
 十字架のもとに生かされる者は、その立つ所が、世の基準ではなく、神の国にあるのだ。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【12月の暗誦聖句】
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。(ヨハネの手紙第一 4章9節)
【1月の暗誦聖句】
あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。(詩篇119篇105節)