2023年12月31日(第53号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 尾崎 証兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 66番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 262番 | |
聖書 | ガラテヤ人への手紙6章11~16節 | |
説教 | 「十字架のもとに生きる」牧師 | |
献金 | 331番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「十字架のもとに生きる」
牧師 齊藤 耕
私たちは、この一年間礼拝において讃美歌262番を讃美してきた。十字架のもとに集い、十字架を仰ぎ、十字架の恵みのゆえに栄光の主を望み見て来た。改めて、「十字架のもとに生きる」とは、どのような生き方であるのか、思いを馳せたい。ガラテヤ人への手紙は、救いは「律法によらず、信仰による」ということがテーマである。その根拠に十字架がある。しかし、教会の中には、その信仰を惑わす者たちがいた。兄弟たちに「割礼」を強いていたのである。パウロは、ここで割礼の有無よりも、彼らの肉的な動機に問題が深いことを伝える。
そのような者たちは、「外見を良くしたい」者たち、「迫害を受けたくない」とする者たちであることだ。すなわち、割礼派の支持者を集めて、ユダヤ教の優越を主張しつつ、自分たちの勢力を拡大していた。また、そのことによってユダヤ教徒からの迫害を回避し、十字架の恵みを無きものにしていた。世に妥協し、自らを誇りたいと願っていたのだ。
しかしパウロは、「十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。」と述べた。むしろ、彼には誇れるものが沢山あった。しかし、キリストの十字架の恵みのゆえに、それらはちりあくただと考えていた(ピリピ3:8)。キリストとともに十字架につけられたパウロの心は、もはや世に(肉の思いに)縛られることはなかった。その古き人は十字架に死に、十字架の死より復活したキリストの新しいいのちに生かされていたのである。
十字架のもとに生かされる者は、その立つ所が、世の基準ではなく、神の国にあるのだ。