Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年1月14日(第2号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :佐々木孝兄
第2礼拝司会 :黒羽 徹兄
奏    楽 :小室陽子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*1番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マルコの福音書9章42~50節
説教「塩は無くてはならない」牧師
献金338番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「塩は無くてはならない」

牧師 齊藤 耕 

 主イエスは、人を「つまずかせる」者は、石臼を首に結び付け、海に投げ込まれてしまうほうがよいと言われた。また、自分の手や足や目が、自分自身をつまずかせるならば、それを切って捨てなさい。あるいは、えぐり出しなさいと言われた。ゲヘナに投げ込まれるよりは、片手・片足・片目になっても、真のいのちを得て、神の国に入る方がよいからだ。もちろん誇張している。しかし、そこまで言うほどに人を「つまずかせる」ことは災いである。
 ゲヘナとは、「ベン・ヒノムの谷」から出た言葉で、ここはかつて異教礼拝が行われ、幼児を犠牲にする恐ろしい儀式が行われていた。ヨシヤ王はこれを廃絶し、その後、町の廃棄物や動物の死骸、罪人の死体の焼却場とされたことから地獄と同義語とされた。このゲヘナでは火が消えることはなかった。
 最後に「火」という言葉に関連付けて、積極的な勧めを与える。『人はみな、火によって塩気をつけられる』のである。「火」とは試練や信仰による苦しみ。そこを通り、信仰者は塩気をつけられる。すなわち、霊的に成長させられるのである。「塩」とは何だろう。この塩気が人のうちに保たれることによって、人は神にいのちを与えられたものとして、味わい深く、そのことばにも行いにも整えられていく。そして、互いに平和に過ごす恵みに導かれるのである。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【1月の暗誦聖句】
あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。(詩篇119篇105節)