2024年1月14日(第2号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 1番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | マルコの福音書9章42~50節 | |
説教 | 「塩は無くてはならない」牧師 | |
献金 | 338番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「塩は無くてはならない」
牧師 齊藤 耕
主イエスは、人を「つまずかせる」者は、石臼を首に結び付け、海に投げ込まれてしまうほうがよいと言われた。また、自分の手や足や目が、自分自身をつまずかせるならば、それを切って捨てなさい。あるいは、えぐり出しなさいと言われた。ゲヘナに投げ込まれるよりは、片手・片足・片目になっても、真のいのちを得て、神の国に入る方がよいからだ。もちろん誇張している。しかし、そこまで言うほどに人を「つまずかせる」ことは災いである。ゲヘナとは、「ベン・ヒノムの谷」から出た言葉で、ここはかつて異教礼拝が行われ、幼児を犠牲にする恐ろしい儀式が行われていた。ヨシヤ王はこれを廃絶し、その後、町の廃棄物や動物の死骸、罪人の死体の焼却場とされたことから地獄と同義語とされた。このゲヘナでは火が消えることはなかった。
最後に「火」という言葉に関連付けて、積極的な勧めを与える。『人はみな、火によって塩気をつけられる』のである。「火」とは試練や信仰による苦しみ。そこを通り、信仰者は塩気をつけられる。すなわち、霊的に成長させられるのである。「塩」とは何だろう。この塩気が人のうちに保たれることによって、人は神にいのちを与えられたものとして、味わい深く、そのことばにも行いにも整えられていく。そして、互いに平和に過ごす恵みに導かれるのである。