Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年4月7日(第14号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :横田 眞兄
第2礼拝司会 :風間岳志兄
奏    楽 :神野真理姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*30番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書ヨハネの福音書20章19~31節
説教「見ずに信じる幸い」牧師
献金243番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「見ずに信じる幸い」

牧師 齊藤 耕 

 主イエスが十字架の死より復活された日の夕方、弟子たちは一つの所に集まり、戸に鍵をかけていた。すると、主イエスが彼らの真ん中に立ち「平安があなたがたにあるように。」と言われ、ご自身の両手と脇腹の傷を示された。弟子たちは主を見て喜んだ。ところが、ここにはトマスがいなかった。
 他の弟子たちは、「私たちは主を見た」と言った。そして、両手に釘の跡があり、脇腹に槍で刺された傷跡があったことを熱心に伝えたに違いない。しかし、トマスとしてはどうしても信じられなかった。自分だけが取り残されたようにも思えて悔しかっただろう。彼は「その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
 それから八日後、また弟子たちは集まり戸に鍵をかけていた。トマスも一緒だった。主イエスは彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。そして、トマスには、彼が一週間前に述べた通りに、ご自身の傷跡をお示しになられた。トマスは、「私の主、私の神よ。」と答える。主イエスは「…見ないで信じる人たちは幸いです。」と言われた。
           *
 トマスの一週間は、何を物語っているのだろう。「ことばは神であった」(1:1)で始まるヨハネの福音書は、このトマスの告白をクライマックスとしている。本書の目的は、イエスが神の子キリストであることを信じ、イエスの名によっていのちを得るため。後の世代を生きる人々が、この目撃証言に思いを重ね、信仰の告白に導かれ、救いに与ることが著者の願いであり、また、神のみこころであった。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【4月の暗誦聖句】
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネの福音書 11章25節)