Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年6月9日(第23号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :阿部潤也兄
第2礼拝司会 :天野大樹兄
奏    楽 :風間美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
賛美*12番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マルコの福音書11章12~19節
説教「祈りの家と呼ばれる」牧師
聖餐式
献金205番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「祈りの家と呼ばれる」

牧師 齊藤 耕 

 ベタニアを出た時、主イエスは空腹を覚えていた。葉の茂ったいちじくの木が見えたので、近づいて見ると実はなっていなかった。その季節ではなかったからだ。すると主イエスは言われた。「今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように。」翌日、いちじくの木は根元から枯れていた(20)。
 まだ、その季節ではなかったのに、いちじくの木は、なぜ呪われたのか。理不尽に思われるだろうか。いちじくの木は、イスラエルの民を象徴している。枝葉なことに熱心でありながら、悔い改めの実を結ばない民に警告が与えられていたのだ。こうして、彼らはエルサレムに入った。
 さて、過ぎ越しの祭りを控えた神殿の境内では、ささげ物にする動物を売る者たちや貨幣の両替人たちで賑わっていた。神殿に仕える者たちは、これで利益を得ていたが、礼拝のためのものであった。しかし、主イエスは、商売人たちだけではなく、利用する者たちも追い出し始めた。彼らの腰掛けを倒し、物を運ぶことも許さなかった。そこは、異邦人の庭であり、異邦人の礼拝が妨げられていたのである。主イエスは、「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いているではないか。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」と言われた。
 祭司長たちや律法学者たちは、自分たちの正当性を疑わず、主イエスを殺そうと相談した。彼らは、悔い改めの実を結んでいなかった。本当に神を礼拝し、人のために仕え、祈ることがなかった。
 しかし、主イエスは、彼らの、また私たちの罪をその身に負われ十字架に死なれた。ご自身とともにある者たちが、「祈りの家と呼ばれる」ために。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【6月の暗誦聖句】
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6~7節)