2024年6月16日(第24号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
奏 楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 312番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | マタイの福音書26章36~46節 | |
説教 | イエス・キリストの従順坂野師 | |
献金 | 316番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「イエス・キリストの従順」
協力牧師 坂野慧吉
20世紀の神学者ジョン・マーレ―によれば、イエス・キリストの十字架の御業は、「犠牲」「なだめ」「和解」「贖い」として理解することができるという。しかし、これらの中に一貫して流れているのはイエス・キリストの従順、つまり「父なる神」と「みことば」に対する徹底した従順である。イエスの十字架による「救い」は、単に「受肉」によるものではなく、受肉して「人」となったイエスの従順によるというのである。確かにイエスはナザレで両親に仕えられた。また罪なきお方なのに、ヨハネから洗礼を受け、御霊に導かれて、荒野で悪魔の誘惑を受けたときも、「みことば」に従われた。ご自分の苦難の予言をされた時も、弟子のペテロの安易なことばの背後にサタンの誘惑を見抜いたイエスは、「下がれサタン」と言って退けた。
「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことのできる方に向かって、大きな叫びと涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全なものとされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり…」(へブル人への手紙5章7~9節)